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47 榛名山古道
「室田道」は、榛名山麓の南・西に広がる村々や関東方面から榛名詣に訪れる人々が多く利用していた道です。
高崎から烏川北岸を辿る信州街道を進み、中室田の分去(ワカサリ)で信州街道から分かれて榛名神社に向かいます。
現在の県道29号線と県道211号線及び県道33号線が概ねこの室田道をなぞって拡幅されています。
県道と重ならない所も、往時の古道をたどれる痕跡が残されています。
近世江戸で出版されて人気を博した往来物『上州榛名詣』に記されている道中の様子を織り交ぜながら室田道を紹介します。
高崎宿の木戸のあった高崎市中心街から県道29号線を室田方面に向かいます。
並榎町の天龍護国寺、高浜町の高浜駒形神社、神戸町(ゴウドマチ)では戸榛名神社、下室田町の長年寺と大森神社が『上州榛名詣』に記されています。これらは当時から広く参詣されていたことがわかります。
大森神社で道は右に折れます。県道もここから211号線となります。この道も信州街道ですが、経由地名をとって「大戸街道」、「草津街道」とも呼ばれていました。
分去(ワカサリ)で信州街道を左に分けて榛名山に向かいます。県道からも一旦離れます。この辻には石造物がありますが風化が著しく年代が読めません。
すぐの四つ角には、道標と石仏、馬頭観音があります。道標は、「右大和田、左齋田、前榛名山、後下室田」です。
社家町(シャケマチ)に入ります。最盛期には、七十軒ほどの宿坊と屋敷がありました。
今は激減し、石積みの屋敷跡を残しています。
大鳥居をくぐり、榛名湖畔に向かう県道を左に分け、宿坊や休処が並ぶ参道を行くと隋神門が迎えます。
かつては仁王門と呼ばれ運慶作といわれる仁王像がありましたが、明治初期の徹底した廃仏毀釈で仁王像も焼かれてしまいました。
地蔵峠を越えてくる「箕輪道」がここで合流します。
参拝後、少し戻り、分岐を左に折れて「関東ふれあいの道 コース15(榛名山へのみち)」を行きます。
追分から二軒茶屋までは県道を避けて古道を辿ることができますが、老朽化した牛王橋を渡ること、あるいは遊行原御旅所から掘割までのササヤブに入り込むことは避けましょう。
おすすめは、社家町をスタートして榛名神社から天神峠を経て榛名湖畔までのハイキングです。
榛名山は日本二百名山で、その最高峰は掃部ヶ岳(1449m)です。典型的な複式火山でいくつもの山々が連なっています。山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士があり、外輪山として掃部ヶ岳(カモン)、天目山、相馬山、二ッ岳、烏帽子岳、鬢櫛山(ビングシ)などが囲み、その外側にも浅間山(水沢山)、鷹ノ巣山、三ッ峰山、杏ヶ岳(スモモ、スモン)など多くの峰を持っています。
榛名山の火山活動は約50万年前頃から始まり、長い休止期間を挟みながら続いてきました。
掃部ヶ岳、杏ヶ岳、天狗山、天目山や烏帽子ヶ岳などは、古期の溶岩ドームと言われています。
また、榛名湖となるカルデラや榛名富士、蛇ヶ岳、相馬山、浅間山(水沢山)及び二ッ岳は約5万年前の噴火で形成された新期の溶岩ドームと言われています。
最近では、古墳時代の5世紀末から6世紀にかけて二ッ岳付近で大規模な噴火がありました。
長期に及ぶこれらの噴火では大量の火山灰と軽石が山麓に分厚い堆積層をつくり、火砕流も発生しています。
またそれらの一部は河川による浸食により、山麓に大規模な緩斜面や扇状地を形成しました。
榛名神社は、延長五年(927)の『延喜式神名帳』に上野国十二社の1つとして記されています。
古くは天神地祇を祀っていましたが、密教と神仏習合が定着し、山中には九世紀頃の僧坊とされる巌山遺跡があります。
近世は榛名山巌殿寺・満行宮と称していました。
近世末から明治初期の神仏分離令により仏教色を廃し、元の榛名神社の社号に復しました。(古道に関する記述の中では時代を問わず「榛名神社」に統一しています。)
創建に至る経緯にはいくつかの研究があります。
榛名南西山麓の古代豪族が、密教の影響を受けて修験の場として現在地に建てたというものと、行場を探して信州方面から入ってきた集団によって最初から現在地に建てたというものなどです。
社家町(恩師町)(シャケマチ、オシマチ)は、榛名神社の参道両脇に立ち並ぶ宿坊や民家で形成されています。
天保14年(1843)の記録では74軒の宿坊があったとされています。しかし、明治時代の神仏分離令や修験道廃止令で大きな打撃を受けました。
現在では13軒の宿坊があります。特に善徳坊、般若坊、本坊の3軒は当時の宿坊建築の姿を留めており、国の登録有形文化財に登録されています。
徳川幕府は、往来を制限するために、わざわざ峻嶮な碓氷峠を主要街道としていたようです。
また、信州松代以北に向かう場合は、上野国から信州街道を利用するように仕向けていたともいわれています。
近世中期以降、物流や人の往来が急増するにつれ、脇往還である信州街道も賑わいをみせ、それにともなう利権を確保しようと枝道も増えたようです。
そのような時代背景から、信州大戸通りの裏往還の通行を取り締まるため寛永8年(1631)に番所が設けられました。
明治2年(1869)に廃止されるまで、番所の直接の管理は、幕命により榛名山別当職が行い、各坊が月番で勤めていました。
榛名山麓では松尾芭蕉の句碑を見ることができますが、芭蕉自身は上野国には来ていません。
芭蕉の影響を受けた人たちが建立したもので、その場所にふさわしい句が選ばれているようです。
榛名山番所跡の左手に「松露庵句碑」があり、芭蕉の『あかあかと日はつれなくも秋の風』を中央に松露庵を継承した俳人の句が並びます。
社家町黒門橋から100mほど下った左手には『山里は萬歳をそし梅の花』の句碑があります。
ちなみに榛名山麓は梅の一大産地です。
多作で知られる小林一茶は、文化5年(1808)江戸から信州柏原に帰郷する途上に榛名神社と榛名湖を訪れています。榛名神社で行場の再建供養を行った日だったようで、一茶の『草津道の記』と神社の古文書が合致しているそうです。
何句も詠んだうちの1つが『鶯もとしのよらぬや山の酒』です。
これは句碑になっていて、大鳥居をくぐって参道に入るとすぐの左手にあります。
時代が下り、竹久夢二。女性的な榛名湖に魅せられ、湖畔にアトリエまで建てています。
夢二自筆の歌、『さだめなく鳥やゆくらむ青山の 青のさびしさかぎりなければ 夢』が湖畔に建っています。
アトリエも復元されています。
(1)倉渕町三ノ倉から一ノ瀬
中山道松井田宿⇔地蔵峠⇔三ノ倉と通じ、榛名を参詣する道です。
三ノ倉までの道は、古来より東山道、中山道経由で人・物資・文化が行きかった道です。
信仰もしかりでしょう。榛名への道は2路線あり、さわらび療育園辺り(古くは遊行峰御旅所)で合流した後に一ノ瀬(さわらび療育園入口バス停)で室田道に合流します。一ノ瀬手前から榛名川右岸を総門跡辺りまで北上する道もありました。
このうち、倉渕町三ノ倉の高野谷戸バス停からさわらび療育園入口バス停の間は、「関東ふれあいの道コース14(道祖神のみち)」に指定されており、77ケ所、114体の道祖神の他、多くの寺社や小栗上野介終焉の地など遺跡を訪ねることができます。
他の1路線は現在の県道33号で、松井田町⇔倉渕町⇔榛名湖畔⇔渋川市と通じる主要地方道です。
(2)倉渕町落合から八本松(二軒茶屋)
妙義⇔中仙道松井田宿・安中宿⇔風戸峠⇔落合と通じ、榛名・妙義を参詣する道です。
室田道には、八本松(二軒茶屋)で合流する道、遊行原の旧一之鳥居で合流する道の2路線があります。
後者の遊行原に上がる道は、途中ヤブ化し、歩きにくいです。倉渕町落合にはユニークな道祖神があります。
白岩山長谷寺(ちょうこくじ)は、群馬県高崎市白岩にある金峰山修験本宗の寺院である。本尊は十一面観音で、坂東三十三所第15番札所である。地名から白岩観音とも称される。
この寺の創建年代等については不詳である。源氏(鎌倉将軍家)をはじめ新田氏・上杉氏などの信仰を得た。戦国時代永禄九年(1566)には武田信玄が箕輪城を攻めたときに類焼したが、天正八年(1580)世無道によって再興された。古くから修験道の寺であったが、明治に入り一時天台宗に属することとなり、戦後現在の宗派となった。
◆榛名神社、社家町、榛名湖畔など
榛名観光協会のWebサイト「はるなビ」(http://harunavi.pya.jp/wp/)で、榛名山と周辺の“みる、食べる、泊まる”やアクセスなどが紹介されている。
◆榛名町歴史民俗資料館(群馬県高崎市榛名山町138-1)
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121900188/
榛名神社や宿坊などで所蔵する貴重な資料を紹介している。
◆県立榛名公園ビジターセンター(群馬県高崎市榛名湖町845)
https://www.pref.gunma.jp/01/e2310244.html
動植物や地質の面から、榛名山の成り立ちや現在の様子を知ることができる。
◆群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館(群馬県渋川市北橘町下箱田784-2)
http://www.gunmaibun.org/excavation/
発掘情報館は広く開放された学習の場で、資料展示室、遺跡情報室、収蔵展示室、体験学習室、図書室などの施設がある。
特に、金井東裏遺跡については、現地が埋め戻されているため、発掘情報館は必見の場である。
渋川市の金井東裏遺跡では、6世紀初頭に起きた噴火の火砕流に巻き込まれた、甲を着た男性や、首飾りをした女性など4人の人骨が発掘されている。降下した火山灰の上を歩き回っているときに火砕流に襲われたと考えられ、足跡や馬蹄跡から人馬の行動がわかる。また、集落の様子、馬の飼育、祭祀遺構や生活の様子などの情報が火砕流堆積物に閉じ込められて保存されていた。イタリア古代都市ポンペイ同様のことがこの榛名山でも起きていたのだ。金井東裏遺跡は、丁寧な調査報告書が出され、現在は埋め戻されている。
天神峠直下にある「長野堰用水の歴史」の看板には、榛名白川の源頭に「左京の泣き穴」という不可解な記載がある。Webサイトでも「右京の無駄堀」、「右京の馬鹿堀」「右京の泣き堀」など否定的な呼称が見える。江戸時代中期の絵図では、「松平左京太夫殿 故有ホリシ穴」とある。高崎城主松平左京太夫輝貞が宝永五年(1708)、幕府の裁可を受けて榛名湖からの引水を計画した。しかし、村同士の水争いが生じ幕府の裁定を仰ぐ事態となり、40mほど掘って中断し開通することはなかった。ただし、浸透しやすい地質の榛名山系のことゆえ、水はわずかではあるが湧き出ている。この位置では、榛名湖まで1.5kmほどある。このような経緯が否定的な呼称となり、絵図では遠慮した表現となったのであろう。榛名湖の取水堰は北東側にもあり、榛名川側への取水の量と時期は関係者間で統制されている。
①県道211号線分去又はバス停「分去」 (標高:406m)
↓ 45分 2.1km ↑ 40分
②榛名神社一之鳥居
↓ 35分 1.5km ↑ 30分
③バス停「掘割」(県道211号線と122号線の合流点)
↓ 15分 0.7km ↑ 15分
④バス停二軒茶屋
↓ 20分 0.8km ↑ 15分
⑤バス停「さわらび療育園入口」
↓ 30分 1.4km ↑ 25分
⑥バス停「下の坊」
↓ 25分 1.1km ↑ 20分
⑦バス停「榛名神社」
↓ 10分 0.3km ↑ 10分
⑧榛名神社隋神門(標高:845m)
↓ 20分 0.7km ↑ 20分
⑨九折岩
↓ 40分 1.7km ↑ 35分
⑩天神峠 (標高: 1124m)
↓ 10分 0.5km ↑ 15分
⑪榛名湖畔 (標高: 1090m)
距離;約10.8km、上り4時間10分、下り3時間45分
コースタイム⑦から⑪は『山と高原地図⑳』を引用、その他の区間は概ね同地図に整合しています。
なお、榛名神社と榛名湖畔の参観時間を十分考慮して計画してください。
◆分去へ
高崎駅からバスで50分
◆榛名神社へ
前橋I.Cから車で60分、高崎I.Cから車で70分、渋川・伊香保I.Cから車で50分
◆榛名湖へ
高崎駅からバスで90分、
高崎I.Cから車で70分、渋川・伊香保I.Cから車で40分、中之条駅から車で30分
◆調査報告書関係
群馬県教育委員会『群馬県歴史の道 調査報告書』群馬県教育委員会、2001年3月発行
群馬県教育委員会『榛名神社調査報告書』群馬県教育委員会、昭和51年3月31日発行
放送大学地域社会研究会『榛名神社と榛名信仰』放送大学地域社会研究会、1992年9月30日
下司信夫「詳細火山データ集:榛名火山」産総研地質調査総合センター、2013年
(https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/haruna/index.html)
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団「古墳人だより」公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団、2013年から2019年
◆町村誌関係
高崎市『榛名町誌』高崎市、平成23年9月30日発行
箕郷町『箕郷町誌』箕郷町、昭和50年8月19日発行
室田町『室田町誌』室田町、昭和41年10月1日発行
榛東村『榛東村誌』榛東村、昭和63年6月20日発行
倉渕村『倉渕村誌』倉渕村、昭和50年12月25日発行
倉渕村『新編倉渕村誌』倉渕村、平成21年1月30日発行
箕郷町『箕郷町の石造文化財』箕郷町、昭和59年3月31日発行
◆古文書、古地図関係
「元禄上野国絵図」(元禄十五年に前橋藩から幕府に提出されたもの 群馬県立文書館蔵)
社家町大瀧坊蔵(仮名)「榛名の山全図」(作者不詳、年代不詳だが内容から推察して江戸中期 )
榛名神社「県社榛名神社境内地並建物見取図面 付 境外末社、榛名山名所旧跡」群馬県立文書館蔵、明治28年7月
清水玄叔(烏涯)『上州榛名詣』浅見保家文書 群馬県立文書館収蔵、享和3年
原沢文彌「脇往還「大戸通り」交通の歴史地理学的研究」1955年
◆書籍・論文
神道登『群馬の国学者 新居守村考』群馬出版センター、平成3年5月15日
榛名町『榛名町の文化財』平成7年3月発行
榛名町『榛名の伝説』昭和56年11月発行
斎藤勲『みさと散策』昭和60年11月23日発行
清水喜臣「一茶と榛名「草津道の記」私見」平成元年3月30日
◆登山、ハイキング関係
『山と高原地図20赤城・皇海・筑波・榛名山』昭文社、2021年版
上毛新聞社『ぐんま百名山』上毛新聞社、2007年7月25日発行
上毛新聞社『群馬の山歩きベストガイド』上毛新聞社、2019年12月15日発行
齋藤繁『登山で病気に負けない体をつくる 健康トレーニング』上毛新聞社、2021年4月26日発行
[原稿執筆]
日本山岳会群馬支部 黛 利信
[協力]
中村智昭様(箕郷町御嶽講行者、ガラメキ温泉元住人)
神道良則様(甘楽町歴史民俗資料館研究員)